人はどこから生まれてくるのだろうか

精神はどこから生まれてくるのだろうか。

不思議に思うことがある。

それは、「自分」って一体どこから生まれてきたのだろうか、と。

もちろん、両親が結婚してそれで生まれてきたわけではあるが、例えば、なぜ隣の家の両親の間に生まれて来なかったのか。

もっと視野を広げれば、日本ではなくてアメリカで、中国で、アフリカで、貧しい国で生まれていた可能性だってあるはずだ。

そもそも「自分」って何なのだろうか。いつから「自分」と認識されるのか。

幼少期の記憶がある頃から?

でも、母親の胎内を抜けるときの、トンネルを通過したような感覚を覚えている人もいる。

では、胎内にいたときから?
しかし、寝ているときはどうだろうか。

おそらく「自分」という認識はできない。無意識の状態である。

ということは、意識があるかないか。

そうなると肉体と精神は別で、では精神はどこからやって来たのかというと、自分の脳?

車で考えると分かりやすいかもしれない。

肉体が車のボディーで、精神が車のドライバー。

その車に対するドライバーは、誰にでもなり得ると思うのだが。。。

アメリカ籍でもイギリス籍のドライバーでも。

 

2 件のコメント

  • 私も疑問に思うことがあります。この時代、国、肉体などの条件を授かって生まれた自分。ふと 歴史を勉強している時にもし自分がこんな環境の中で生きていたらと想像するのですが、やはり自分らってとても幸せなのだなと思います。安心して眠ることだって出来るし、お腹いっぱいご飯を食べたり、勉強をが嫌だなんて言っていられる余裕があったり、職業を自由に選べ、一人の人間として平等な権利を持っています。現代では努力さえすれば大抵の事はある程度の水準まで引き上げることが出来ます。ですが、自分を含め、人にとって目の前の快楽に争う事は難しいです。どんな幸福を手に入れようともその先の幸福を求めようとします。確かヒンドゥー教だった気がするのですが、人間は最後まで苦しみ続けるのだ としていました。日常では苦痛が多いですし、どんなに欲を満たそうともまた次の欲求が増えます。生きているうちは本当の安らぎは得られないのかもしれません。母親は霊などを感じることが出来まして、一度死後のことを話しました。すると、人は人の魂、動物は動物の魂というようにランク分けされているのだと言っていました。つまり、私達が動物に生まれ変わりたくとも動物にはなれず、動物もまた人にはなれないとのことです。人間は何度も生まれ変わりながら少しずつ経験を積み、最終的ラインへと達するとそこからはもう生まれ変わる必要は無いのだとか。そう考えてみると辛いことも苦しいことも自分の経験値となり、その先の本当の安らぎの為の成長と捉えられます。ですが、その境地までたどり着く魂はほんのわずかみたいです。あと何回生まれればいいのか…。果てしないですね。最近では科学的にも死後の世界は存在するとされていますし、いや〜不思議な事がいっぱいですよ( ´ ▽ ` )ノ

    • 深い、深いです。私も歴史を勉強していたとき、同じことを考えていたことがあります。例えば、私も第二次世界大戦時に生まれていたかもしれないと、国のために、何の罪もない女性や子どもが殺され、亡くなっていった方々のやるせなさに思いを馳せ、なぜ自分は今の時代に生まれたのだろうかと思います。私も宗教は特に興味はないのですが、この世というのは魂を鍛錬するところである、と。そして、そのために人生にはいくつか課題が設けられており、それをクリアしない限りまた同じ壁にぶつかるというのは、キャメレオン竹田さんも言っています。確かに何回生まれれば良いのやら。少なくとも私は今世だけで十分です、現時点では。って私がこんなこと言っちゃダメですね(笑)

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