幸せって自分が思っているよりも、ずっと近くにあったり、普段当たり前だと思っていたことを、失って初めてその大切さや幸せに気づいたりします。
つんく♂さんは、シャ乱Qのボーカルとしてずっと歌ってきました。歌手にとって声というのは、いのちと言っても過言ではないでしょう。そんな声を捨て、生きることを選んだつんく♂さんに迫りたいと思います。
シャ乱Qつんく♂
つんく♂さんは1968年生まれの大阪出身で、1988年にシャ乱Qを結成。
大阪では、年間100本ものライブをこなす売れっ子バンドだったものの、メジャーデビューのため上京した途端、歌う機会が急激に減った。
そんな不遇を過ごし、これが売れなければレコード会社と契約解除といわれたときに出したシングル、「上・京・物・語」で13万枚を売り上げ、少しずつ知名度が広まっていく。
ただ、この曲は動画にも表示される通り、つんく♂さんが作った曲ではないので、CDが売れて嬉しい反面、悔しさもあった。
それ以降、音楽の勉強を猛烈に始め、次のシングル「恋をするだけ無駄なんて」で、作詞を担当しそこそこヒットを飛ばし、不遇のために失いかけてた自信を取り戻し始める。
この頃はまだ、今から福岡に行ってきて、のような突発的な仕事が多く、ラジオの深夜番組や曲作りのために、この頃からベッドに入るのが明け方になるのが増え、同時に睡眠導入剤も飲み始めた。
そして、有名な次のシングル「シングルベッド」は、火がつくまでに時間がかかり、半年以上かけてミリオンセラーに。
この辺りから忙しさの質が変わり始め、きっちりした予定が数カ月先まで埋まるようになる。
その後も、「ズルい女」など立て続けにミリオンセラーを出し、日々の9割が仕事と寝ることになり、残りの時間でご飯を食べたりするようになり、仕事漬けの毎日。
睡眠導入剤を始め、調子が悪いときは点滴や薬で何とかする癖がつき出したのもこの頃。
97年になると、忙しかったのが夢のように徐々にセールが落ち始め、シャ乱Qとしてのピークは過ぎていた。
シャ乱Qが再浮上するまでの間、あくまでサイドビジネスみたいな感じで、プロデュースの仕事を始める。
プロデュースの仕事に面白さを感じ、97年にモーニング娘。をプロデュースし99年に「LOVEマシーン」が176万枚以上の大ヒット。
いつの間にか、バンドよりプロデュースがメインとなってくる。
こうしてシャ乱Qだけでなく、プロデューサーとしてのつんく♂が誕生。
なぜ医者は見抜けなかったのか
一番最初に喉に違和感を感じたのはいつなのか分からないが、薬で抑えても声が思ったように出ないときが増えていった。
そして、2005年に歌手の職業病とも言える声帯ポリープの摘出手術を受ける。
ただ術後も声の張りが思ったほど戻らず。
思うように声が出ない日が徐々に増えていく。
2013年の「シャ乱Q結成25周年記念ライブツアー」が近くなると、声が出ないもどかしさや苛立ちから、喉にパンチすることも。
また同じころにデビューしたミスチルやウルフルズなどが、テレビで良い雰囲気で歌っているのを見て、感情が抑えられなくなったり。
この動画も2013年頃ですが、喉の状態が酷いのが分かります。
ツアーは無事終わり、13年の11月、内視鏡で声帯を見ると、左の声帯が目で見ても分かる腫れものができていた。
ただ医者は悪性の腫瘍ではない、と。
それからしばらくするも、喉の調子は悪いまま。
仕方なく、喉の細胞を取り検査(生検)してもらう。
結果を待つこと4, 5日。
悪性の腫瘍、咽頭癌であることを告げられる。。。
けれど早期発見であり、咽頭癌は一番治る癌なので、すぐに治療を始めれば大丈夫ということで、治療法はいろいろある中で吟味し、分子標的薬と放射線治療を始める。
7週間に及ぶ放射線治療の中ごろになると、放射線で喉や食道が火傷した状態になり、食べるのもままならない。
また副作用で手足のあらゆるところがあか切れに。
無事、治療を終え、少しずつ調子が良くなってきた。
ただ、しばらくするとある程度のところで回復が止まってしまった、そんな気がした。
不安に思い、医者に何度も連絡するも放射線の炎症だと言われる。
生検をし、癌細胞は見つからず完全寛解のお墨付きをもらう。
しかしその後も、喉の調子は一向に良くならず、むしろ呼吸も苦しくなってくる。
炎症にしては長すぎる。
別の病院で生検をしてもらったところ。。。
「やはり癌でした。」
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奥さんとの出会い
ここで、つんく♂さんと奥さんとの出会いに触れたいと思います。
奥さんとは結構衝撃的な出会いで、つんく♂さんが友達が今どういう仕事をしているのか、ネットで調べていたところ、たまたま博多のローカル番組のHPに行きつく。
そのページの隅に載っている写真を見て、この人に会わないといけない衝動に駆られたそう。
何度かメールや電話でやり取りしたものの、まだ会ったことないのに俺たち結婚するんやろ、と自然と口にしていた。
06年に結婚式を挙げるが、その頃原因不明の蕁麻疹に悩まされていた。
医者で薬を処方してもらうものの、少し経つとすぐかゆくなった。
サプリも毎日、山のように飲んでいたが、原因は薬やインスタント食品の化学調味料かもしれない、ということで、味噌汁からポン酢、全て自然のものにこだわるようになる。
日本中からいろいろな醤油や味噌などを取り寄せて、比べてみる。
食へのこだわりがこの動画からも分かります。
さんまさんとシャ乱Qのトーク
その後、双子と次女の3人の子供を授かる。
最初は亭主関白で、ライブに彼女をつれてきたり、一緒に買い物に行くとかロックな生き方じゃない、といった考え方が、奥さんの喜ぶ顔を見たときの充足感によって感化され、次第にいろいろなところに一緒に出かけるように。
また子供を通して、更に奥さんとの愛情を深めていく。。
声との惜別
検査で癌と分かり、リンパに転移している可能性もあることから、声を選ぶか命を選ぶかの選択を迫られます。
歌手にとって声を失うのは、一段とつらいこと。
歌いたいとき、泣き叫びたいときはもちろん、ファンに歌声を届けることもできなくなります。
でも、ためらうことなく命を残すことを選びます。
そして、手術する前、最後の声で子供たちに言いたいことを伝え、これからも何万回と呼べるはずだった奥さんの名前を、もう呼べなくなるこの肉声で、何度も呼んだ。。。
新たなるスタート
つんく♂さんが声ではなく命を選んだのは、奥さんと子供を守ってあげられるのは、命の代わりはない、自分しかいない、と。生きなければならない。愛する人のために。。
声帯を全摘するとはどういうことかというと、まず声が出なくなります。
ただ、全く話せなくなるわけではなく、エレクトロラリンクス、シャントチューブ、食道発声の大きく3つの方法があります。
食道発声についてはこちらをどうぞ。
それから、咽頭は声を出す以外に、呼吸するために気管から肺に空気を送り、また気管に異物が入り込まないようにする弁の役割も果たしています。
なので、全摘して弁がなくなるというのは、物を食べたり飲んだりしたら、そのまま食道だけでなく気管にも入ってしまい呼吸困難を引き起こしてしまうのです。
そのため、食道と気管をはっきり分けるために、気管を前の方に引っ張り出し、空気の通り道となる1円玉ほどの穴を、首の付け根あたりに開けます。
その穴を気管孔といい、口とは違って常に開いたままなのです。
気管孔から水が入ってしまうと、窒息死する恐れがあるので、シャワーは気を遣いますし、お風呂やプールはしっかり浸かれないのです。
つんく♂さんのこれから
プロデュースはもちろん、歌うことだって決して諦めていません。
それに守るべき人がいるということは、幸せなことなんだ、と。
またシングルベッドが聴けることを夢見て。。。