どういう経緯で修行しに行ったのかは以下に書くとして、まずは宝泉寺禅センターがどういうところなのかを説明します。
宝泉寺禅センターとは
最近は、お寺での修行体験ができるところが増えてきていますが、そのほとんどが1泊2日もしくは当日のみです。ですが、宝泉寺禅センターは一般的なコースが3泊4日からで、希望によりそれ以降も修行を続けることができます。
また、住職が異色の経歴で、早稲田大学を出たあとに海外の大学で心理学を修め、臨床心理士の資格を持っています。そのため、心理カウンセリングを受けることも可能です。
そして、宝泉寺禅センターが他と違うところは、修行日数もそうですが、修行体験が洗練されてプログラム化されている点や、自由時間があること、そして料理が美味しいところだと思います。
また、修行というと座禅だったり写経、お経などをイメージされると思いますが、基本の部分はそれほどどこのお寺も変わりません。
主に違ってくるのは座禅で、修行が厳しいことで有名な福井県の永平寺は曹洞宗なのですが、こちらは只管打坐といって、ただひたすらに(=只管)座禅をすること(=打坐)により、悟りを開こうとするスタイルです。
対して、今回のところを含め臨済宗は、住職の講話を聴いて、座禅でそれを参考にしつつ自分と向き合うといったスタンスです。なので1回の座禅も20分くらいと短いです。
人間的に腐ってきた
私自身、かつて鬱だったのは以前の記事で書いた通りです。
今回は、鬱までにはなっていなかったものの、就活や人生について先が見えず、引きこもりがちになっていました。
そのような状況を見かねてか、親からは何度か今回の修行体験を勧められていましたが、個人的には修行するほどの状況でもないし、3泊4日もなんて面倒臭くて嫌だなぁというのが、正直なところでした。
そのような思いを抱きながら日々を過ごしていましたが、このままでは何も変わらないし死ぬわけでもない、それにブログの記事にもできるかもしれない、といった少し不純な気持ちも持ちながら修行に行くことを決断しました。
入山日はキリの良い週明けの月曜日に、そして月に一度しか無さそうな「接心」という日にも敢えて被るようなときにしました。その日がどんな日かもあまり知らずに。。。
京都 亀岡の人里離れた山奥で。。。
さて、週明けの月曜日。期待と不安が入り乱れながら、JR京都駅から32・33番ホームの山陰線へ乗り換え、園部行きの電車に乗る。
保津峡を眼下に見ながら、間もなく亀岡駅に着いた。
時間を見てもらうと分かりますが、入山の受付は意外と遅めで14時から14時45分なのでこの時間に。
駅を降り京都方面へ戻る感じで山のほうを目指す。
途中はこのような風景が両側に広がり、お寺に近づくにつれ、民家が少し増えてくる。
お寺の手前の坂を上り、ようやく門が見えた。
門をくぐり、正面の建物に入る。ちなみにここが本堂。
玄関で靴を脱ぎ、さらに正面の襖を開けたところが滝ノ間というところで、ここが受付となっていた。
受付といっても、机に紙が置いてありそこに名前を書いて、1枚のしおりを取って座るだけである。
私が着いたときは、まだ20分以上あったが既に修行者が何名かいた。この人たちはどういう理由でここに来たのだろうか、などと考えながら時間を待つ。
中編へ続く。。。