このページを開いてくれたということは、まだどこかで生きたいという思いがあるのだと思います。死にたい感情と生きたい感情の狭間で、苦しい思いをされていることと思います。
私もかつて鬱で、何度も死にたいと思っていたことがありました。しかし今は鬱だった自分は別人と思うくらいまで回復しました。
今回は、鬱になってからどのように回復して行ったのか、そして私の思うところについて書いてみます。
まさか自分が鬱になるとは思いもしなかった
私は高校の頃に鬱になりました。鬱になるまで、鬱というのは一種の先天的な病気か何かくらいにしか思っていませんでした。それまでは普通にスポーツもして健康的に過ごしていたので、まさか自分がという感じでした。
私はどこか完璧主義的なところがあって、人生において少し後悔することがあり、そのことばかり考えていると段々と鬱になっていました。そう、自分で穴を掘って行って気づいたら地上に上がれなくなっていた、そんな感じでした。
生きるということがこれほどまでにエネルギーのいるものなのか
鬱になってしまってからは、とにかく1日が長く感じました。そして、息を吸って吐く、普段無意識に行っているこの動作が、意識して行わないといけないくらい、呼吸一つをとっても、辛いものでした。
そして、日中はひたすら無気力と頭痛と死にたい気持ちが襲ってきました。頭痛に関しては、頭にベールのようなものが取り付けられ、それが除々に締め付けてくるかのような鈍い痛みでした。
無気力というよりかは、何かをする場合、まず生きる(呼吸)というのに加え、何かをするという二段構えだったので、物事がとても億劫でした。
夜がずっと続けば良い
そんな私が一番楽だった時間が寝るときでした。寝てる間は唯一、頭痛も生きる苦しさも忘れることができました。永遠に夜が続けば良いのに、そして寝たままずっと目が覚めなければ良いと思っていました。
私はリストカットや睡眠剤、飛び降りなどはしませんでした。カウンセリングは何度か受け、病院にも行きましたが、結局最後まで安定剤のようなものはもらわず、薬として処方してもらったのは、頭痛を抑える薬のみでした。
そういうわけで、日中は生きたい気持ちと死にたい気持ちが波のように、寄せては返すを繰り返していました。周りが闇に感じられ右も左も分からないので、自分が闇のどの部分にいるのかも分からず、ひたすら闇から脱しようともがき続けるものの、どの方向へ進めば這い上がることができるのか分からない状態が何日も続きました。
まるで、這い上がっては闇に引きずりこまれる、蟻地獄のようでした。とにかく今生きてる世界が地獄に思いました。
もう死んでしまおう
端的に言えば植物人間のような感じで、こんな状態が何日も続くと生きてるのが辛くなってきました。ただ呼吸しているだけで、顔は死んでおり自分だけが辛い思いをしているオーラを振り撒き、接する人全てに不快な思いをさせて、一体自分は何のために生きているのだろうと。。。
ただ、死ぬにしても迷惑をかけてはいけないので、電車に飛び込んだり飛び降りたりはできませんでしたし、そんな勇気もありませんでした。
なので、私は自分の頭を思いっきり殴りました。他人を殴るかのように手加減なしで。自分を蝕むこの頭をぶん殴れば、意識を失って死ねるんじゃないかと。でも、そんな簡単には死ねませんでした。その後1週間ほど、頭を洗うときはとても痛みました。
堕ちるところまで堕ちて。。
辛くなるのは恐らく、今のままじゃいけない、頑張らなくちゃ、と焦る気持ちがどこかにあるからだと思います。でも、闇のどの辺りにいるのか分からない状況でもがいても、余計にしんどくなるだけです。島が見えない大海原で、あちこちに泳いで体力を消耗している、そんな感じでしょうか。
だったらいっそのこと、堕ちるところまで堕ちてしまえば良いのです。1日中ぐだぐだすれば良いのです。一旦、闇の底を知ってしまえば、あとはそこからゆっくりと這い上がって行けば大丈夫です。這い上がるのに疲れたら、またそこまで戻れば良いのです。
死んでも楽にならない
死にたいと思っている人の多くは、死んだら楽になれると思っているのではないでしょうか。私だってそうでした。それは、死ぬ=寝ている状態、というようなイメージが少なからずあるからだと思います。
しかし、これは違います。寝るというのは生きているからこそできることで、死んでしまうと自分が死んだことに気づかず、何度も死ぬ行為を繰り返すといいます。例えば飛び降りたなら何度も飛び降りるというように。
しかも生きている時間よりも、とてつもなく長い時間を苦しみ続けます。生きていれば、たかだか人生80年くらいですし、生きることも死ぬことも、選択ができる上、生きていれば闇から這い出すことも十分可能です。しかし、死んでしまっては、死に続けるしか選択肢がありません。
自分で選べる世界か選べない世界、どちらが良いですか。
私は宗教は特に興味がないのですが、この世というのは魂を鍛錬するところで、魂をより素敵なものにするために生まれてきた訳です。
そして、生まれてくる前に覚えてはいませんが、この世に生まれて魂を鍛錬する契約をしました。死んでしまうのは、その契約を破棄することなので、罰とは言いませんがそれ相応の報いを受けねばなりません。自殺というのは、自らを殺す、つまり殺人なわけです。
この知恵袋も参考になるかもしれません。
「自殺したら本当に楽になれますか?」
苦しむために生まれてきたわけではない
恐らく、生まれてきてからずっと辛いわけではないと思います。ある日、何かきっかけがあって、そういう状況になったはずです。
しかし、悔しくないですか。周りの人間は鬱というのがどういうものか知りもせず、人生を楽しんでいるのに、自分だけこんな苦しい思いをし続けてるなんて。。。
誰にだって人生を楽しむ権利があるわけですし、苦しむために生まれてきたわけでは決してありません。それに、人生一度きりなのですから、楽しまないともったいないです。
私は自分に負けたくなくて、こんな植物人間のような自分がとにかくみじめで悔しかった。だから、この悔しい思いをどんどん大きくさせて、この悔しさを闇から這い出すエネルギーに変えて少しずつ這い上がり、地上に出たときの光の眩しさは今も忘れられません。
それと、健全な肉体に健全な魂は宿るということから、私は筋トレも始めました。こんな弱い自分が大嫌いで、この状態を早く脱したかった。自分に絶対負けたくなかった。周りは楽しんでて自分だけこんな苦しい思いをしているのが理不尽で、とにかく悔しくて悔しくて堪らなかった。
筋トレはお薦めです。というのは、自分の肉体をいじめる、言わば自傷行為に似ているので、この感覚がクセになるというか。なので、リストカットは止めて、筋トレを始めてみてください。リストカットは何の解決にもなりませんよ。
自分を守ってあげられるのは自分しかいない
これは私が苦しかったときに一番痛感したことですが、自分を守ってあげられるのって、お医者さんでも親でも恋人でもなく、他の誰でもない自分しかいないのです。カウンセリングの先生でもありません。
もちろんアドバイスはくれますが、最終的に選択をするのは自分しかいません。それに、鬱の原因は対人関係が影響したにしても、つまるところは自分の脳が作り出したのです。自分の脳で作り出したのだから、自分の脳で解決することもできます。
自分の脳がこの世界を作っているのです。なので、貴方と他の人が見ている世界は一つとして同じものはないのです。もちろん地球という星は一つですが、貴方がこの地球に抱いているイメージ、感じること、聴くこと見ることは、我々の脳が作り出しています。
なので、この世界を複雑にすることもシンプルにすることもできるのです。貴方の考え方一つで世界が変わると言っても過言ではありません。
明けない夜は無い
私も闇にいた間は、この状態がずっと続くと感じていました。止まない雨はない、明けない夜は無いなんて嘘だと。自分がいる世界は朝が来ない、ずっと闇に包まれた世界だと、そう思っていました。でも、今なら言えます。必ず夜は明けると。
そして、引き寄せの法則と言って、例えば暗いことばかり考えているとそういうことばかり起こりやすくなってしまいます。今は難しいかもしれませんが、もう少し楽観的に考えたほうが生きやすいですし、次に同じようなことがあっても、簡単にやり過ごせるようになります。
あとは、我々は人間と言っても動物なので、体を動かさないとどうしてもいろいろな気とか考えが滞ってしまいます。運動するのはなかなかできないかもしれませんが、筋トレだけでも始めてみてください。私も気持ち悪い状態で運動をし続けて、少しずつ回復していきました。
それから、虐められていて自殺して復讐してやると思っている人もいるかもしれません。確かに、自殺したときは相手にショックを与えることができるでしょう。ただ、間もないうちに風化し忘れられてしまいます。貴方がずっと苦しみ続ける代償と引き換えに、わずかばかりのショックのために死ぬことは割に合わないです。
中島みゆきの「宙船」の歌詞にもあります。
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな
とにかく悔しい気持ちを糧に、弱い自分を脱したい思いを持ち続けながら、筋トレから始めてみてください。自分に負けないでください。
また、欅坂46の「サイレントマジョリティー」にも、このような歌詞があります。
君は君らしく 生きてゆく自由があるんだ
大人たちに支配されるな
始めからそう諦めてしまったら 僕らは何の為に生まれたのか
夢を見ることは 時には孤独にもなるよ
誰もいない道を進むんだ
この世界は群れていても始まらない
Yesでいいのか サイレントマジョリティー
私自身も、群れているより少数や一人でいるほうが好きです。
周りに合わせていたら楽かもしれませんが、そこには自分がいません。
人間なのだから、一人一人違う意見、個性があって当たり前じゃないですか。
全員同じだったら工業製品やロボットと何が違うのでしょう?
毎日同じこと、同じ仕事、同じ食事をしていて楽しいでしょうか。
こちらももしよかったら利用してみてください。生まれてきた意味が見つかります。
今だから言えますが、私は鬱になれて良かったと思っています。こんなことを書くと、お前は病状が軽かったからそんなこと言えるんだよ、と。確かにその通りかもしれません。
ですが、私だって毎日死にたい気持ちでいっぱいでした。ですから鬱がどれほど辛いのかは分かるつもりです。
今も、完全に元通りというわけではなく鬱の後遺症というか、蛍光灯がいっぱいついた明るい部屋で周りの壁も真っ白だと、眩し過ぎてふらふらしてきます。
鬱の前と比べると、眩しさへの耐性が弱くなったように感じます。暗いほうが落ち着きます。
新たな学期が始まり、中学生や高校生が自殺する連日のニュースに私自身、胸が痛くもどかしい気持ちでいっぱいです。
鬱になって何が良かったかというと、一つは鬱の人の気持ちを知れたこと。それまでは、先天性の病気か怠けているくらいにしか思っていませんでした。
もう一つは、乗り越えたことで、何か人生の壁にぶつかったとしても必ず乗り越えられる自信があること。いわば1回死んでいるようなものですから、怖いものなんてほとんどありません。
そして最後に、こちらも検討してみてください。